大阪府粟起工業協同組合

「おこし」は日本で最も古い歴史を持つお菓子といわれています。奈良時代には「日本書紀」の神武天皇の祝詞に、「糒」を蜜で固めたものが記されており、「おこし」が豊作祈願として神に捧げられていたことがわかります。

江戸時代初期の料理書「料理物語」によると、安価な「粟」や「ハト麦」等を使った製法が書かれており、「おこし」が庶民のお菓子として親しまれていました。

江戸時代中期の大阪は、年貢米が各地より千石船で運ばれ、堂島の米市では先物取引が行われるほど経済が発展し「天下の台所」と呼ばれていました。原料が入手しやすくなったことから、お米や砂糖・飴で作った「粟おこし」「岩おこし」が人気を呼ぶようになりました。

こうして大阪が栄えると共に「おこし」は<身を起こし、家を起こし、国を起こし、福をおこす>縁起の良いお菓子として大阪の人々に愛され、大阪の名物として広く全国で有名になりました。

日露戦争の時、明治天皇より戦地へ慰問品として菊の紋章入り「おこし」35万箱の大量のご注文を頂き、その後宮内省御用達、陸海軍御用命等の栄誉に授かりました。

業界は大いに繁盛し、戦前の組合員数(任意)は253名と大所帯でした。戦中・戦後の苦難を経て、昭和25年4月大阪府粟起工業協同組合が85名で設立されました。

現在、組合員数は7社と少ないですが、明治44年第1回帝国菓子飴大品評会(東京)以来、平成29年第27回全国菓子大博覧会(三重)まで、毎回連続して「おこし」を出展しており、いずれも高位受賞を続けています。

今後も伝統を守りつつ、新しい時代に真心の通う大阪名物の開発に総力をあげて取り組んでまいります。