大阪府菓子工業組合の結成に至るまでには、紆余屈折があり、組合員間の主義主張が異なり非常に困難を極めた。昭和32 年11月25日に法律185 号で公布された「中小企業団体の組織に関する法律」(施行は昭和33年4月1日)により中小企業育成のため、より強固な法的根拠を持ついわゆる商工組合などが設立できることになった次第である。
大阪菓子業界としても、昭和37 年より北本兵次氏を設立発起人とし、設立の機運が高まり、協議をしてきたが、組合員の過半数が製造直売業者であり、流通業者を通して販売する業者は、菓子生産高においては過半数を超えながら組合員数が過半数に至らないため、両者間の意見が数度にわたる大阪府の斡旋にも拘わらず合意することが出来ず、設立が出来ないままとなっていた。
そこで、当時の大阪府焼菓子工業協同組合理事長の加藤金之助氏は、組合員の地位確保及び業界の発展のための単一工組による工業組合設立を立案し、日夜努力された結果、昭和40 年10月8 日に大阪府焼菓子工業組合の許可となった。これが現在の大阪府菓子工業組合の前身となった。
その後、各業種間の意志の疎通を図るため業種別組合長で意見を同じくする者が「金水会」を創設し、毎月数回意見の交換を行い、約1 年6 カ月かけて業種別の意志統一を見て、流通菓子を製造する業者により「大阪府菓子工業組合」を結成することになり、大阪府焼菓子工業組合は発展的解消。その後、和洋生菓子も団体加入の形式で入会し、府下全域にわたる生産者の大同団結を得て、昭和42年2月27日に創立総会を開催し、初代理事長に加藤金之助氏が就任し、現在に至っており、大阪府菓子工業組合には、大阪府生菓子協同組合、大阪府洋菓子工業協同組合、大阪半生菓子協同組合、大阪府米菓協同組合、大阪せんべい協同組合、大阪府焼菓子工業組合、大阪府飴菓子掛物組合、大阪府粟起工業協同組合、大阪府油菓組合、大阪府玩菓工業協同組合、大阪府落花生豆菓子組合、大阪府甘納豆協同組合、浪花米菓組合の13 工組が加入している。